鎌倉時代研究ノート

鎌倉時代の人物等について解説や雑感を書いていくブログです。

源頼朝について1

源頼朝は、その功績に比べて、今ひとつ大衆的な人気がありません。

その理由の一つに、有力家臣や同族を誅殺し続けたという事実があります。

特に、源義経を誅殺したことは、頼朝の人気を決定的に下げたと言ってもいいでしょう。

では、なぜ、頼朝は有力家臣や同族を誅殺し続けたのでしょうか?

 

海音寺潮五郎は、著書「武将列伝」において、頼朝が有力家臣や同族を誅殺し続けた理由として、頼朝の人一倍強い用心深さ・猜疑心を挙げています。そして、その用心深さ・猜疑心の背景には、頼朝の父である源義朝平治の乱に破れ、最期は源氏方の有力家人であった尾張の長田忠到に討ち取られた経験があると指摘しています。

 

また、「源頼朝と鎌倉」の著書である坂井孝一も、頼朝が有力家臣や同族を誅殺し続けた理由として、海音寺潮五郎と同じような見解を持っています。

 

一方、頼朝の誅殺によって、源氏そのものの勢力が弱体化し、北条氏による執権政治を招きました。

 

そこで、次回からは、頼朝によって誅殺された武将に焦点を当てていきます。彼らに焦点を当てることで、なぜ頼朝が誅殺という手段を選ばざるをえなかったのか探ってみたいと思います。