鎌倉時代研究ノート

鎌倉時代の人物等について解説や雑感を書いていくブログです。

源頼朝に誅殺された武将 上総広常2

源頼朝と東国御家人との緊密な主従関係は外部の権威・権力の介入を排除し、一元的に頼朝が彼らを掌握し、組織化することで成り立っていた。逆に言えば、朝廷の伝統的権威や権力により、亀裂が生じる危険性が存在した。

頼朝は、任官した御家人を厳しく非難した。その理由は、「鎌倉殿」として権威・権力を誇示し、彼らを一元的な主従関係に回帰させるためだ。

(「源頼朝と鎌倉」坂井孝一著より)

 

頼朝の政権構想がこれであると仮定すれば、上総広常が誅殺された理由は、上総広常が「鎌倉殿」としての権威・権力を前提とした一元的な主従関係を拒んだからと言える。

 

頼朝の挙兵時、確かに上総広常の参戦によって、頼朝の戦力が大幅に向上したことは間違いない。

一方で、頼朝の下にあって、自身の勢力を誇示することは、頼朝としては許せることではなかったろう。

頼朝としては、たとえ源氏方の勢力の減退になったとしても、自身の権威・権力を削ぐような人物は、誅殺すべきと考えたのだろう。